なんでも使えるとうな日本は本当にいいのか?

まずは、抵抗なく使われる生体AI、スケートボード、ドローン等、なんでも、誰でも、規制なくつかわれはじめ、これをビジネス化する、はじめてつくられ道具が使われれる

時には、いろいろの法律的制約のもとに製品化されているのだが、製品になったとたんに別ものになり、用途外に使われることも多い。

そこで使われているスケートボードについてみると、最初は規制されていたものが、外された。つまり義務がなくなり、道路・歩道、それ以外のところも、車両でないのでわがもの顔で走りまわり、事故も起きている。深刻な事故が起これば、規制が始まる、これがお決まりの日本スタイル。いままでも、死亡事故が多発しれいても、市民から要望があっても信号がつかず、新聞・マスコミで大々的に報道されるとすぐに信号がつくのと同じことで、ドローンも、国内ではないのだが、ウクライナ、ロシア、その他の紛争地域では戦争の道具として使われている。いくら、平和目的とはいえ、国家資格をもった人が使えるとしても、個人情報、武器としての使用ができる以上、国が生産の管理や用途の管理、輸出の管理をしなければいけないものではないのか。簡単に便利だから使えるものにしてはいけない。同様に自動運転の自動車その他乗りものも、そうである、

ゆりかもめでも、相当のトラブルがあるがあまり報道だれない。これは政策的に進めていることなのでリスクを表面化させたくないからだと思う。

 日本のいけないところは、なんでもやらせて見て、そこでリスクが生まれてから規制をかけるという考え方。これは過去の公害問題、原発問題で明らかなのだから、経済効果より、人に関わる侵害、個人情報、人体に精神的・肉体的危害を与える出来事を未然に防ぐことを先を見通して決めておくことが必要であり、EU諸国の生体AIに関する規制は正しい判断であると思います。これは、欧州の哲学者、科学者の失敗談が国民に根付いているのでしょう。 新しいこと、ものへの挑戦に反対する意見ではなく、その先に起こる事も考えておくことの必要性があることを理解しておくべきであることがいいたいので述べました。