最近の日本の凋落ぶりが露呈しはじめている

政治、経済、科学、文化などあらるゆる分野である。その原因は、教育によるものかもしらない。教育制度の揺らぎ、6・3・3・4制度の見直しがされていない。幼稚園と保育園の在り方が解決されていない。公立と私立の教育の格差、規律を重んじるのか自由を尊重するのか。理想的教育を追うのか、きちんと規律ある生活、考え方」を守らせるのかも、ばらばらばらです。ならば」、国が基準して教育より独自の教育を自治体なりができる。江戸時代の幕府の学校と各藩が作った藩校のように、各藩の独自の教育が行われたほうがようのではないのか。すべてが中央集権の良さもあるが、この難点はバリエーションにかけることつまり考え方がひとつの方向に行くこと。しかし、最低基準の教育水準を保つことができることである。それに対して分権政治であると、独自性の教育をおこなうことができるので、いろいろの考え方、生き方、さらに新しい物を創造する

ちからも生まれる。自治体ごとに争うことで、よりよい考えをもつ人材が育成される。

 最近の問題はデジタル化で、AIでさまざまな考えをPCで検索したり、集めて見ることができるし、PCがそれをまとめた答えを出してくれる。これがいけない面もある。アナログ時代では、まず、どのような本を調べれよのかかから始まり、さらにその本のどこに書かれているのか。だれの考えなのか、類似した考えはないのかを調べるという作業があり、それから実際に見てみる、調べてみること。そこから引き出されたものからやってみて答え得る。そして一蓮の仮定をまとて論文にする。

 このような苦悩のなかで考え方を導きだしていた。しかし、PCでAIを使えば、いままでにPCに蓄えられたデータから答えを見つけだしてくれてしまう。

 はやくいえば、人間の記憶力の活性化、想像力を養うちから、多角的な見方、広い視野、深い思考などを生み出す活動が養われなくなり、さまざま活動での創造あるものが少なくなる。これによりいまいわれているのはノーベル賞の受賞がいなくなる。政治的にも柔軟な判断が出来なくなる。経済的には世界的な新製品の生産が出来なくなる。先端技術の開発にも支障がうまれることになる。技術的失敗が目につくようになる。これらにより国の信頼性にもなくなり、斜陽国家になってしまう。

 だから今こそ、明治時代に教育に力をいれたことを思い出し。あの時は全体の教育レベルを上げることでしたが、今度は個人の教育レベルを上げる国としての制度を早急に整えるべきだと思います。